3日目
朝8時、庭の大テントの中ではすでに数十人の人が朝食を摂っています。
今日はお寺での本葬と荼毘がとりおこなわれます。お金持ちであれば、本葬まで1週間とか10日とか間をおき、その間葬式とふるまいを続けますが、庶民にそんな贅沢が出来るわけでもありません。それに今は暑季、遺体は冷蔵されていますが、それでもだんだん傷んできます。なのでさっさと骨にしてしまおうというわけです。
朝、いつものようにお坊様が7人、読経にやってきます。小一時間のあと、朝食のタンブン。昨日とかわらないスタートです。
午前11時、棺桶を冷蔵ケースご、屋外に運び出します。それをピックアップに積み、葬儀の執り行われるお寺まで搬送します。日本と違い葬儀専用の車とかはないようです。というか、葬儀社とかの商売もなく、すべて集落とお寺の共同作業でやっているようです。お寺は家から300m程しか離れていませんが、国道2号線という大きな通りの向かい側に位置するため、車だと1キロ程の距離になります。
さて、遺体が車に積まれ、出発の時間になりました。まず、爆竹が派手にならされます。それが終わるとピックアップに積んだスピーカーから大音量の音楽(雅楽のようなもの)が流され、遺体が寺に到着するまでその音楽はやみません。家の前には別に何台もの車が待機しており、それらすべてがコンボイを構成してお寺に向かいます。それにはうちが所有する路線バスも含まれ、参列する人間を運んでいました。僕自身は何台目かのピックアップの上で、魔よけ用?の火のついたたいまつを運ぶ係りをまかされました。暑くてかなわん(笑)
お寺についた遺体は、まずサーラー(火葬場)の周りを3周します。先導するのは臨時出家した小僧さんたちです。ピックアップからは白い糸が渡され、先導の小僧さんから、ピックアップの後ろに続く参列者(身内のみ?)まで、一筋の糸でつながります。この辺、結婚式でもにたようなシーンがありますし、読経の時でも全てのお坊さんに糸がわたされます。タイではよく見かける風景ですね。
サーラーを3周した遺体は、サーラーの釜の前に安置されます。その後、本堂で読経と高僧の説話、遺族代表による本人と家族の紹介などが行われます。今日はざっと500人ほどが参列したようですが、本堂だけでなく木陰という木陰に椅子が並べられ、すべての人々に冷たい飲み物が途切れなく振舞われていました。
読経や説話が終わると、全員でサーラー上の遺体に向かって合掌。それで本堂での行事は一旦終了し、遺体との最後の別れが始まります。
まず棺桶の蓋があけられ、指名された順番に遺体に花と線香、ろうそくをささげ、ココナツミルクをかけます。おそらく遺体を清める意味だと思います。
指名された人は、臨時出家した小僧さんの先導でサーラーに上がりますが、小僧さんはそのとき、白い封筒に入れたお布施を貰えます。1回は小額ですが、参列者が多いので、結構な小遣いかせぎになります。それが判ってれば僕も頭丸めたのに(うそ)
その後棺桶の蓋を閉めて荼毘に付すことになります。遺体の下にひいていたシーツや、生前使っていた着衣や道具類のうち、形見分けされるもの以外はサーラーの近くで野焼きされます。
そうしているうちに釜の扉が閉じられ、火葬が始まります。ここまで来ると儀式的な要素はほとんどなくなり、淡々と作業が進行します。ただ、火葬が始まると同時にお菓子や紙に包んだバーツコインがばら撒かれていました。日本の棟上のときに餅などをばら撒くのと同じ乗りです。爆竹といい、中国の影響をうけているっぽいですね。
後は、ひとしきり読経のあと、三々五々解散、また食い放題、飲み放題パーティーの始まりです。火葬している遺体には誰もが無頓着。タイでは魂の抜けた死体はただのものでしか過ぎないのでしょうか。骨の回収は翌日以降になります。
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