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こんんちは。DACOでおなじみのSAKUTA-MANです。 タイ王国ウドンタニ県に居を構えつつ、バンコクでIT関係の仕事をやってます。
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Start:2007-11-01
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タイまで5,750,000歩
タイ人との国際結婚をテーマにしたBlogです。

妻を追ってタイへ
(タイ田舎暮らしの日々)

イサーンのルーイで暮すドラえもんさんの日々

Bar WOODBALL
シーロムsoi6にある日本式スナックバー、とっぴーのお店です

Rak☆Thai
8年越しのタイ仲間があつまってます。
プロフィール
HN:
SAKUTA-MAN
性別:
男性
職業:
ITトータルアドバイザー
趣味:
旅行、お酒
自己紹介:
ども。DACOでおなじみのSAKUTA-MANです。
イサーンとバンコクを往復しながらIT関係の仕事やってます。
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カフェに行ったことありますか?地方でもちょっとした街には大抵あります。まあ、簡単な食事も出来る飲み屋なんだけどね。飲むだけならタイ人向けで安くあげることも可能だけど、カフェ遊びはタイ人の間でも通の遊び場と言われてます。

カフェには必ずステージがあって、女の子たちが順番に持ち歌を歌います。気に入った女の子がいれば、歌っている時に花輪「マライ」を送ります。そうすると、女の子は次のステージまでの間(40分位?)席に来て話し相手になってくれます。もちろん、無視して眺めるだけでも何の問題もありません。あと、どんなカフェでも女の子の歌の間に、体になんらかの障害を持った人が歌います。この人たちにマライを送っても席には来てくれませんが、タンブンの伝統からか、多くのマライが送られます。歌の間にはテレビでよく見るようなどたばた喜劇のショーがあり、これ目当てにくる人もいるようです。

マライの値段ですが、ウドンタニの僕の家の近くのカフェでは最低が20バーツですが、バンコクでは100バーツから200バーツのようです。女の子たちは給料もドリンク料もなく、マライの金額だけが収入となります。実際には店と折半のようです。本質的に風俗ではないため、昼間勤めていたり、学生だったり、また、プロ歌手を目指してたりといった女性が多いので、プロのホステスとは一味違った会話が楽しめます。特に地方のカフェだと、都会に働きにいくまでの勇気がないとかの理由でそこに勤めていたりしますので、結構かわいい子もいたりします。もちろん歌が下手ではカフェでは働けません。皆それなりにちゃんと歌えます。人気のない子はマライも集まりませんから、歌っている女性たちにとっても結構シビアな世界です。

マライの最低価格は店により決まっていますが、上限はありません。マライは首飾り状になっており、送られた女性はそれを首にかけたまま歌います。マライには実際に送られた現金が貼り付けてあります。まあめったにありませんが、1000バーツ札が数十枚張り付いたマライを見たことがあります。一人の歌手に複数の客がマライを送る事は普通にあります。その場合は当然、金額の高いほうの客のほうに行きます。女性をキープし続けようとすると、ステージ毎にマライを送らなければなりませんし、他の客との駆け引きも発生します。カフェ遊びが通の遊びと言われるゆえんです。



バンコクのお勧め:ファイブスターカフェ

ラマ4通り、スリウォン近くにあります。スリウオン通り、ソイトワイライトを抜け、ラマ4通りに出る直前の右側です。朝4時か5時頃までやっていて、食事も出来るし、女性連れでも問題ない店ですので、シーロムで飲んだあとなどにいかがでしょうか。

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ちょうど7年前の10月末、僕はドンムアンに降り立った。嫁と知り合って数ヶ月。仕事の合間をぬって2ヶ月の長期休暇を取っての訪タイである。自営で、ひとつの仕事のスパンが6ヶ月から1年という僕にとって、仕事の切れ目に長期の休暇をとるのは普通のことだった。嫁と知り合ってから、短期の訪タイを繰り返しながら、ほぼ毎日電話で話す日が続いていた。
僕がその日バンコクに入ることを選んだのには訳があった。その日はロイクラトーン、一年に一度、先祖を供養するための精霊流しの日なのだが、それと同時に恋人たちがその愛を確かめ合う日でもある。

つまり、その日に行動をともにしてくれるようなら、その男は女性にとって本命という事になる。日頃恋人付き合いをしていても、本命でなければ母親が急に病気になったり.....
まあ、僕にとってはひとつの賭けだったといえる。と言うか、実際はちょっとした遊び心だったんだけどね。タイまで飛行機で仲良くなった女性2名と話しながら歩いていると、出迎えている彼女が見えた。僕が女性と一緒なので人違いかと思ったらしい。その女性たちとはそこで別れたが、後日食事をご一緒し、嫁の案内で観光にも同行させてもらった。

その日だが、それから予約しておいたホテルをキャンセル、嫁のアパートに行き、その後チャオプラヤ川で精霊流し。そして半年後に結婚。僕がタイに移り住むことになった。
あれからもう7年、子供も6歳になる。嫁とはいまだに喧嘩ひとつなく、周りからは「バンコクの奇跡」と言われるほど仲がいい。僕の人徳....ではなくて、嫁の優しさと気配りに負うところが大きいのだが。

思えば遠くに来たものだ。




これでもロイクラトーンです(笑)(某日本人クラブにて)

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バンコクとパタヤのほぼ中間にシラチャという街がある。周囲には大小の工場団地があり、当然日系企業も多く進出している。そのため、バンコクについで日本人が多く住む町であり、在留登録者は3000人を越えるという。市内を歩くと、いたるところで日本語の看板をみかけるし、日本人クラブなど数も多い。小さいがよく整備された街である。



そのシラチャから船で40分程のところにシーチャン島がある。古くは暴風雨の時の待避港となり、その後ラーマ5世王(チュラロンコーン)の別荘があった事でも知られている。
島は周囲のほとんどが切り立った崖になっており、島内も急勾配の道が多い。島内の交通手段はサムローが中心だが、この島のサムローは自動車用の高出力のエンジンを積んだ独特のものである。








島全体は、リゾートというより普通の住人が住むだだの村といった風情で、観光地につきものの派手さはない。ただ、結構きちんと整備されており、展望公園、岸壁をくりぬいて作られた中国寺、小規模な水族館、ラマ5世の別荘跡など、見るべきものは多い。








島の周囲は切り立った崖であり、釣り人のいう良磯になっている。それなりの準備をしていけば、結構釣れそうだ。
(友人とふたりで夜に少し試してみましたが、逆風にたたられ、釣果はなしでした)






逆に海水浴が可能なビーチは本土から見て裏側にちいさなものがひとつあるだけである。シャワー設備など、最低限度の設備は整っているが、パタヤのような物売りはいない。
また、電波が届かないようで、ビーチにいる間、携帯がまったく通じなかった。



注釈:当日、カメラの調子が悪く、あまり写真が撮れなかったため、一緒に行った友人のHPから写真を数カットお借りしました。その時に気がついたのだけど、ある写真に僕の素顔がばっちり。。。聞いてね~ぞ。まあいいけど(笑)

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ウドンタニ県はタイの東北部、バンコクから560Km、ラオス国境まで50Kmの場所に位置する。市内を一級国道である国道2号線が走り、空港は一応国際空港で(もっとも、国際線は飛んでいないが)バンコクやチェンマイとの定期航路が毎日数便就航している。また、バンコクからは特急列車(約10時間)や1日数十便の長距離バス(約9時間)も連絡している。

県都であるウドンタニ市はコラート、コンケンについでイサーン地方で3番目に大きな都市であり、商業施設、総合病院、市民公園など、都市に必要な機能は一通りそろっている。

また、ウドンタニ空港は軍用飛行場としての用途がメインであり、民間ターミナルは空港の片隅にちいさくまとまっている。どうも、軍用機の発進が優先されるようで、旅客機が滑走路のそばで待たされることも珍しくない。




ウドンタニ県の詳細についてはこちらを参照ください。


1級国道である国道2号線は当然だが、市内や周辺部を走る道路も広く、かなり整備されている。ベトナム戦争時代は米軍の一大基地群があり、北爆や救難活動の最前線基地として使用されたことから、米軍がかなりの資金を投下して整備したということだ。
また、その影響なのか市内には数多くの欧米人が暮らしており、また外国人に対する抵抗がほとんどないためか、タイ全県のなかで国際結婚率がトップという特徴を持つ。郊外には居住者の8割が国際結婚カップルというムーバーンもあるし、ちょっとしゃれた家を見かけると、娘が外国人と結婚しているという事も多い。

また、市内にはベトナム戦争時代のなごりを留める歓楽街やバービヤ群も残っており、昔、タイに駐留していたと思われる年寄りの欧米人で結構賑わっている。ただし、日系の企業とかはほとんどないので、街で観光客以外の日本人を見かけることはほとんどない。

市内の交通機関は決められた区間を走るソンテウが主力で、それにタクシーとして利用する動力サムローが加わる。昔ながらの人力サムローもときおり見かけるが、かなり数は減っているようだ。車夫も老人が多い。僕も一度人力サムローに乗った事があるが、やせた体で僕と嫁を乗せたサムローのペダルをこぐ姿に耐えられず、途中で降りてしまった記憶が残っている。後数年もすれば消えていく乗り物だと感じた。



市内には路線バスは走っていないが、市内と郊外は短距離の路線バスで結ばれている。
ウドンタニの路線バスは、1家族が1台のバスを所有し、全員が組合に所属して、決められた路線を走る。うちの家族もそのバスの営業をしている。路線はウドンタニ中心部から国道2号線をノンカイ方向に約30キロほどである。他の公共交通機関がまったくないので、郊外に住む住人にとっては貴重な足である。ノンエアコンだが、運賃はバンコクのそれよりも高めである。嫁の両親が健在なころは、父親が運転、長兄と母親が交代で車掌を務めていたが、両親、長兄が他界した今は、嫁の弟夫婦がそれを引き継いでいる。



バンコクに比べると、自家用車の普及はまだ遅れているが、なにをするにも徒歩では不便な土地なので、各家庭には大人ひとりに1台のバイクがあるのも珍しくない。うちにも僕用を含めて4台のバイクと自家用サムロー1台がある。バンコクと違い、運転免許などはほとんど無視である。中学生などは普通にバイクで通学している。



市街地は、国道2号線と垂直、東西方向に発展しているように見受けられるが、僕の家は国道2号線をノンカイ方向に20分ほど走った市外北方の郊外にある。国道2号線からちょっと脇道にそれると、昔のままの自然がのこっている。










今日は花金。自営業の僕にはあまり関係ないといえばそうなんですが、たまにはいいよね。。。」と言うことで、飲み歩いていました。ナノで酔っ払いモード。文章を書くのはつらいものがありますので、今日はお休みです。ごめんなさい。代わりといっては何なんですが、皆様へのお礼の意味で。。。。

このBlogを立ち上げて17日が経過しました。最初の数日は訪問者もほとんどなく、くじけそうになりましたが、皆様の応援のおかげで、参加しているBlogランキングの上位に位置するようになりました。特に「バンコク生活情報」様の週間ランキングでは、3000近い登録数のなかで2位まで上がりました。また、1日の訪問者数も日々増加し、今日現在でのべ861名を数えております。場末の個人Blogとしては出来すぎの数字であり、こんな駄文を懲りもせず読んでくださっている皆様にはお礼の言葉もありません。これからも駄文しか書けないとは思いますが、よろしくお付き合いください。

願わくば、もう少し文才がほしいぞ.

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